California Life ~CPAを目指して~

カリフォルニア生活、CPA進捗、クリスチャンについて気の向くままに綴ります。

【ボストン】マサチューセッツ植民地

2019年末にボストンに移住しました。


ビザ厳格化により、婚約者(K1)ビザが下りるまで約8か月ほどかかりましたが、ようやく入国できほっとしています。入国までのステップ、入国後のステップなどもこちらで共有できればと思いますが、本日は移り住んだボストンについて書いていきたいと思います。


ボストンについて書くといっても、かろうじて記憶しているのは高校生の時に学んだ「ボストン茶会事件」や「ピューリタン革命」というワード、合わせてぼんやり思い出すのは、アメリカは移民が集まった国で植民地化は東海岸から始まったということぐらいです。


今日は、入植がはじまる前のボストン近辺はどういう状況だったのか、またボストンエリアへの植民地開拓がどのように進んだのかを調べてみることにしました。


まず、植民地化が進む前ですが、現在のボストン近辺には1万2千年ごろ前からネイティブアメリカンの先祖が暮らしていたようです。日本で言うと縄文時代にあたりますね。ネイティブアメリカンの記事を読むときりがないので、時を大航海時代に移します。


アメリカ大陸へヨーロッパからのコンタクトが始まったのは大航海時代(15世紀中ごろ)です。大航海時代、最初にアメリカ海域に到達したのは1492年の彼のクリストファー・コロンブス。彼はボストン(北米)付近というよりは現在の中南米のバハマ諸島近辺を航海していました。


北米沿岸をはじめに探検したのは、イギリス王ヘンリー7世に後援を受けたカボット父子です。コロンブス大西洋横断からから約5年後のことでした。(1497・98年)


コロンブスもカボットも大西洋を渡ってたどり着いたのはアメリカ大陸ではなくアジアだと思っていました。新大陸だと気が付いたのは少し後のアメリゴ・ヴェスプッチです(1454〜1512)。新大陸発見となれば入植計画が発足しそうですが、この時代は植民地を恒常的に経営する力はなかったので、植民地建設の事業は起こりませんでした。


最初に北米大陸へ入植を試みたのは、コロンブスやカボット父子の探索から100年ほど経った1580年ごろ。イギリスのエリザベス1世の命を受けたウォルター・ローリーがボストンから車で10時間以上かかるヴァージニアに植民地建設(1584年と1587年)を試みました。新大陸から富を引き出し、スペインの艦隊を襲撃させる基地を作ろうとしていました。ウォルター・ローリーは現在のヴァージニア州に隣接するノースカロライナ州にあるロアノークに基盤を置きヴァージニアへ恒久的な入植を試みましたが、定住化までには至りませんでした。ロアノークに送った開拓者全員が行方不明になったとかで、原因は今も解明されていません。


エリザベス1世の後のジェームス1世の時世になり、彼から特許状を与えられたロンドン会社が1607年にジェームスタウン@ヴァージニア州を建設。ようやく植民地の形成に成功します。


時同じくして、イギリスでは宗教対立が起こっています。宗教対立といってもキリスト教の宗派対立です。エリザベス1世のときにイギリス国教会(国王が教会の最高統治者となる)を確立、ジェームス1世も王制を強めるため宗教統制を強め、カトリック、プロテスタントの中でも非国教会であるピューリタンを厳しく弾圧しました。


そのため、1620年に迫害をうけたピューリタンの一団ピルブリム・ファーザーズが、メイフラワー号で北アメリカに渡り、プリマスに上陸しました。このプリマスはボストン市内から車で1時間ほどのところにあります。彼らはヴァージニア植民地の成功の話を聞き、そこを目指してイギリスのプリマス港を出発。3か月ほどの長旅を経て11月中旬にマサチューセッツ州ケープコッドに到着、上陸し植民地プリマスを建設しました。入植予定地変更によりバージニア会社(植民地建設のための勅許会社)からの特許状が使えず、上陸直前に、入植者全員が自主的に多数決の原理に従って運営する植民地政府を樹立することを宣言するメイフラワー契約を締結しました。


1630年には新たなイングランド国王チャールズ1世から与えられた特許状に基づき,セイラム・ボストンを中心とするマサチューセッツ湾植民地が建設されました。チャールズ1世はジェームズ1世に続く王で、ジェームズ1世同様ピューリタンを弾圧しましたが、1630年に出港した開拓者(清教徒)は弾圧が理由でアメリカに移り住んだわけではないようです。


ちなみに、ボストンはイギリスのボストン地域からの移民が多く、町の名前をボストンと名付けたそうです。


結局、冒頭に述べた「ボストン茶会事件」や「ピューリタン革命」まではたどり着きませんでしたが、疲れてきたので今日はこのあたりで書くのをやめようと思います。また、どこかで時間を見つけてこの続きを書いていきたいです。


最後に、今回参考にした資料はオンラインリソースが大半です。信憑性ありそうなソース情報を参照していますが、オンラインリサーチの難しさを感じました。



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